第4回墓デミー賞


最優秀賞  鬼灯ブリッジを架けに行こう

「それじゃあ今年も鬼灯ブリッジを架けてやるか」
  それがお盆の墓参りにおける、私の中の合言葉だった。
  22歳の若さで他界した私の兄。交通事故だった。その時私は19歳で、突然の訃報に訳も
わからないまま喪服に身を包み、悲しみを心が理解する前に葬儀も火葬も終わってしまっ
た。
  お墓ができてからも、私はあまりお墓参りには行かなかった。お墓に刻まれた名前を見
るのがなんとなく嫌だったし、行く意味を見いだせなかったからだ。親に連れて行かれて
も、特になにも考えずに線香に火をつけるだけ。兄に申し訳ないと思いながら、でも、兄
なら許してくれるとも思いながら。
  兄は赤色が好きだった。そして、人とちょっと違うことをするのが好きだった。そんな
兄と私は一度も喧嘩をしたことないくらいに仲良しで、お互いふざけあってはよく笑って
いたのを今でも思い出す。
  だから私が初めて鬼灯を見つけて買ったのも、単純に「赤色だし」という理由だけだっ
た。長い長い鬼灯を、お墓の両端にある花筒に引っ掛けて橋を架けたのもただの思いつき
だったし、ちょっとした兄へのいたずらでおふざけだった。
  でも、花筒と花筒の間でぶら下がっている鬼灯をじーっと見ていると少し笑ってしまっ
て、それと同時に「ねぇ、これ面白くない?」とお墓に向かって自然と声を出していた。
お墓に向かって声をかけたのはそれが初めてで、私自身ちょっとビックリしてしまった。
その時、ふと理解した。今、私は兄と会話してたんだ、と。
  私はこれまで、ただただお墓という場所にきて、義務のようにお花を替えて線香をあげ
ていた。だから行っても行かなくても一緒だと思ってずっと逃げてきていた。でも、お墓
はそんな義務に縛られる場所じゃなくて、兄と話せる場所なんだ。そう思った途端、スッ
とお墓参りに対する抵抗がなくなったのを感じた。
  しかもあとあと調べてみると、鬼灯には提灯としての意味があるときた。つまり鬼灯ブ
リッジを架ければ、お盆に兄が帰ってくる道も、浄土に戻る道も明るいに違いない。通夜
も葬儀も、私は兄に何かをしてあげられることはなかった。それならばこれから毎年、お
盆になったら兄が歩く道を鬼灯で照らしてあげよう。亡くなった兄に、初めて私からして
あげられることだと思った。
  あれから数年。「兄のお墓に鬼灯ブリッジを架ける」ことは、いつの間にか私にとって
のお盆の恒例行事になっていた。周りのお墓を見たって、こんなことやっている所はどこ
にもないし、お墓に向かって「今年もきたぞ」と言っても返事は聞こえない。でも、「ま
たやってるな」って兄が笑いながらも満足してくれているだろうというのを感じるから辞
められないのである。

優秀賞  ひ孫三人、草を刈る

  祖母のお墓は、古い。小さな納骨堂のような作りで、扉を開けて入り、中に位牌や花立て、香もすべて備わっている。屋根があるので雨風の影響がなく、鳥などが食べてしまう恐れもないので、墓にはいつもお菓子や果物、飲み物も並べて置かれている。墓自体は、昔の人のサイズだからすべてが小さく、身をかがめて中に入らなければならず、よく頭をぶつける。わたしは幼いころからこのお墓が、おままごと用の小さな家のようで、好きだった。
  その墓は、数日おきに叔父夫婦がお参りするので、いつも豪華な果物が供えられ、墓参りするたび、祖母は死んでからも大切にされていると感じた。祖母はその分、わたしたちを守ってくれている大切な存在だ。
  そんなことが続いていたが、叔父が体調を崩し、叔母もその看病で病院につきっきりになった。時折、墓に行くと、墓の外は草が覆い茂っており、墓の中のお供え物は腐っていたり変色していたりするようになった。
  そこで、墓の近くに住む妹家族が、時期を開けずお墓に参るようになった。妹は信心深く、先祖を大切にすることは大切なことだと、妹の息子二人を連れて、行くようになった。墓参りすると気持ちがすっきりとして落ち着くらしい。影響を受けて、わたしも一人息子を連れて、墓へ参る。祖母に会う気持ちでいけば、祖母は笑って待っていてくれているような気がした。
  夏の暑い日、妹たちと一緒に墓参りに行くと、墓の周りには草が勢いよく伸びており、ツタがからまり、周囲を覆っていた。妹は事前にこの草刈りを祖母のひ孫たち三人にさせようと計画しており、ハサミやスコップへなど準備していた。わたしと妹は、窓をあけ、空気の入れ替えをして、墓の中を掃除した。息子と甥っ子の三人は、汗を飛び散らしながら、周辺の草を取り除いてゆく。時々、蚊を叩く「パチン」という音が響く。「パチン」「パチン」。セミの鳴き声と蚊を叩く音が響き、半時間もすると、墓は大掃除を終えたようなキレイな墓になった。「パチンパチン」は、祖母の拍手の音だったのかもしれないと思うほど、空は青く、見守られている感覚があった。額に汗の粒をキラキラさせて、息子たちは墓を眺めている。その顔は笑顔で、満足げだった。
「墓に行くと何か大切なものを持って帰れる気がする」帰った息子がわたしに言った。 「オレ、墓参り、好きや」。
  今年の春、母が他界した。息子は時間ができると、墓参りに行く。そのたび、息子の笑顔が柔らかくなっていくようだ。きっとご先祖様に見守られているのだろう。この気持ちを、いつまでもなくしたくないと、思っている。

優秀賞 日の当たる場所で

  今は東京に住んでいるが、私は石川県の出身だ。空が広く、夏は暑く、冬は雪が降る土
地だ。大学入学に際して上京し、一人暮らしを始めたので、地元にはもう「帰る」ことし
かできない。帰省というのは意外と難しく、盆と正月くらいしか石川にはいられない。そ
のようにして、もう十年近くが過ぎた。祖父母は私が中学生の頃に他界している。実家に
帰ると、まず和室にある仏壇にいちど手を合わせ、「帰ってきたよ」「二十歳になったよ
」などと心のなかでつぶやいて、祖父母に会ったような気になっている。
  祖母が亡くなる前までは、お墓参りといえばちょっとした山登りだった。お寺の奥の方
に先祖代々のお墓があったので、虫除けをして汚れてもいい靴を履いて、長い石の階段を
登って行かなければならない。一人は花を、一人は数珠を入れたカバンを持ち、お寺の入
り口で桶と柄杓を借りて水を汲んで、夏は汗だくになりながら、冬は雪をかき分けながら
お墓に向かう。子どものころの私は、難儀な道中となんとなく神妙な空気が苦手で、お墓
参りと聞くと面白くない気持ちになったものだった。ずいぶん記憶が遠くなってしまった
が、幼い頃は祖母も背筋をしゃきっと伸ばして手に花を抱えて山を登っていたように思う
。いつしか祖母の荷物は私が持つようになった。祖母に手を引かれていたのか、私が手を
引いていたのかはもう分からないが、祖母のお化粧の香りと、柔らかな皮ばかりの手の感
触はうっすらと記憶にある。冬、雪がひどくてどうしてもお墓まで行けない時は、ふもと
からみんなで手を合わせるだけの時もあった。それくらい、お墓参りは大変なことだった

  生前、祖母が「じじばばの葬式は孫の祭りだ」と言っていたのをよく覚えている。お葬式で久しぶりに親戚が集まると、暇を持て余した子どもたちがついつい遊び始める。でも、祖母に言わせれば、お葬式はそれでいいのだそうだ。
  我が家のお墓はもうあの場所にはない。祖母の遺志もあり、お墓をもっと通いやすいところに移動しようということになったからだ。盆と正月は、親戚みんなで時間を合わせてお墓に行く。かつての子どもたちは、やっぱり妙に楽しそうだ。雪が積もった正月なんかは、小さな雪玉を作って投げ合ったりもする。祖母が見ていたら、笑うだろうか。
  今年の五月、私にも娘ができた。ぴかぴかの女の子だ。このお盆は娘を連れて、家族三人で石川に帰った。親戚みんなでお墓参りへ。夫は生後三か月の娘を大事に抱えて墓前へ歩いた。みんなで手を合わせて、私は「ばあちゃん、ひ孫ですよ」と呟いた。親戚の男の子が、娘を抱っこする夫の後ろから歩いてきて、そっと赤ちゃんの娘の背中を支えてくれた。そんな様子を見て、「おみこしみたいだね」とみんなが笑った。私は笑いながら写
真を撮った。祖母はみんなの太陽のような人だった。そんな祖母のお墓が、今、太陽のた
っぷりあたる開けた場所にあることを、私は嬉しく思う。

優秀賞 二人のお墓

  


「どこにしまったかな~。」
 父が亡くなってから半年、抜け殻のようになっていた母が急に探し物を始めた。姉がちゃ
ぶ台で職場の知り合いにもらったお墓のサンプルを広げた時だ。がさごそと寝室の押し入
れに身体半分突っ込んで、母は洋菓子店の缶を引っ張り出し、懐かしい柄の蓋を開け中を
確認している。私たち姉妹はその横から覗き込んでびっくりして声をあげた。
「なにこれ、ラブレター?」
  あて名が父の封筒と、あて名が母の旧姓の封筒のたばが入っていた。思えば、仲の良い二
人だったが、両親の若い頃の恋バナなんて聞いたことがなかった。
「結婚する直前まで、今で言う遠距離恋愛してたからね。」
  母は久しぶりに見せる楽しそうな顔で言い、私と姉は顔を見合わせた。
  手紙の中の父は、読んでいるこちらが赤面するほど、歯の浮くような文面で愛を語り、私
は奇声を何度もあげそうになった。母は本当に愛されていたのだ。
「あった。あった。これにする。」
にやにやしながら、両親のラブレターを読み漁る娘たちを横目に、母はしっかりと宣言し
た。
「甘える女房、甘える亭主、いいと思うよ」
と書かれた部分に、赤ボールペンで丸をつけ姉に渡し、母はちゃぶ台にさっと戻って行っ
た。母はもう抜け殻ではなくなっていた。
  「これお墓にするってこと?」「そんなお墓みたことない。」私たちの頭の中にはてなマークがいっぱいだったが、母はなんの迷いもなく今度はおもむろに書道セットを広げ字を書き始めた。書道は私たち子どもに手がかからなくなってから、母が初めて始めた趣味だ。父の看病中も書いていたが、亡くなってからは手につかないようだった。
  姉は兄に電話をかけ、お母さんがお墓の文字書いてるよと報告した。兄は母が決めたお墓の一節を聞いて反対すると思ったが、電話の向こうで笑っていた。
私たちは母が動き出したのが嬉しかった。お墓の文面通り、父は病院で母にわがままを言って甘えていたのだが、長い闘病生活から解放された母にとっても、父が心の支えだったのだろう。二人は、離婚を経験した私には理解できないほど強い絆で結ばれていた。
  何枚も何枚も書き直し、母は1枚を選んだ。そして、それを石屋さんに彫ってもらい両親のお墓ができた。 
  私は今でもお墓参りに行くと、お墓の文字を見て、思春期の子どものように、親が恥
ずかしような背中がくすぐったい気持ちになる。どこの親がそんなお墓を残してくれるだ
ろう。
  父がいなくなって、やはり寂しかったのだろう。母も病気になり、早くして亡くなっ
たが不思議と悲壮感はない。
  あのちゃぶ台で始まったたお墓づくりの1日がただただ懐かしい。

第4回墓デミー賞概要

 

第4回墓デミー賞 開催概要


お墓参りで感じたこと、話したこと―亡き人とあなたの向き合い方を1,200文字以内の文章と写真で伝えてください。第4回墓デミー賞は、お墓とお墓参りの大切さを伝える心温まる作品をお待ちしています。

主催:第4回墓デミー賞実行委員会
後援:セラボの会、お墓のみとり®グループ、一般社団法人日本石材産業協会
協賛:ホームページで随時更新します

<概要>
対象はお墓とお墓参りを大切にしている方。年齢、職業、国籍は問いません。
お墓参りなど、お墓に関する作文1点と、作文に対してお墓やお墓参りの写真を1点付けてください。
本文1200文字以内、日本語で書かれたオリジナルの未発表作品(ただし同人雑誌など、商業出版ではない形で発表されたものは可)をメールに添付でお送りください。ファイル形式は、ワード形式かテキスト形式でお願いします。
以下について作品に添えてください。①題名、②氏名(ペンネームの場合は本名をお書き添えください)、③生年月日、④住所、⑤電話番号、⑥メールアドレス(題名、氏名にはふりがなをつけてください)
ご自身で全ての著作権を有しているものに限ります。肖像権などにもご配慮ください。第三者との間に紛争等が生じた場合、当実行委員会では責任を負うことができません。
作品の著作権は応募後も受賞者に帰属します。
受賞作品は発表から1年間を限度に、実行委員会の印刷物や広報活動などで使用することがあります。使用にあたっては事前に相談し、受賞者の氏名を表示します(受賞者が表示を望まない場合はその限りではありません)。
応募作品は返却いたしません。
応募後の内容変更は受け付けません。
二重投稿はご遠慮ください。
作品の選考についてのお問い合わせには応じられません。

<応募後・発表について>
応募受付後、応募の受付が正常に行われた場合、「確認メール」を差し上げます。
締切前は応募が集中し、確認メールの送信が遅れることがあります。
選考結果は、令和5年10月下旬に墓デミー賞のホームページ
https://www.gotograve.com/ で発表します。なお、受賞者には直接通知いたします。
※ 応募者の個人情報については、応募に関する問い合わせや連絡にのみ使用します。

<応募期間>
2023年6月15日(木)~2023年10月15日(日)まで

<応募先>
Eメール:[email protected]

<賞について>
●最優秀作品賞 1 名 50,000 円(金券)
●優秀賞 3 名 10,000 円(金券)
表彰式は11月24日(金)午後1時30分から愛知県岡崎市 岡崎城隣 龍城神社にて。
※交通費はありませんが、協賛の集まり具合により検討いたします。

◆選考委員(敬称略)
小野木 康雄(株式会社 文化時報社 代表取締役 )
勝 桂子(こちらOK行政書士事務所 行政書士)
金子稚子(ライフターミナルネットワーク代表)
さだまらないオバケ(供養をデザインで表現するチーム)
志道 不二子(株式会社COCOIKU、株式会社BEプラウド、代表取締役)
藤原 巧(セラボの会、株式会社孔雀代表取締役、墓デミー賞審査委員長)
山口康二(日本石材工業新聞社 代表取締役)
吉川美津子(社会福祉士、葬送 終活ソーシャルワーカー)
大橋 理宏(お墓のみとり®グループ代表 、墓デミー賞実行委員長)

<連絡先>
第4回 墓デミー賞 事務局
〒238-0032 神奈川県横須賀市平作1 -12-10 株式会社大橋石材店内
TEL.046-852-3970 FAX.046-852-8612 携帯080-5526-8343
HP: https://www.gotograve.com 
Mail:[email protected]
担当者:大橋理宏(おおはしまさひろ)株式会社大橋石材店 代表取締役