第6回墓デミー賞
2025.11.21倉敷市アイビースクエアに於いて
第6回墓デミー賞授賞式を挙行いたしました。
当日の模様と作品を掲載します。
最優秀作品
「ふらっと乾杯」
カシュッと缶ビールの栓を開ける。
あれ、お墓でお酒って飲んでいいんだっけ。そんなことを考えながら、ビールを一口飲んだ。僕が一番好きなビール。夏の厳しい西日で火照った身体を、買ったばかりのビールで冷ます。
「とっくにお酒が飲める年になりましたよ」
小さな声で呟いた。
父が亡くなってから二十年近く経つ。あの頃まだ小学二年生だった僕は、その現実を上手く理解できなかった。ただ、これまでの当たり前が少し変わってしまうんだろうと感じ、訃報を聞いたその日だけ泣いた。
父との思い出は少ない。幼かった頃の記憶は次第に薄れ、今でも鮮明に覚えている事と言えば、日曜日に父がビールを飲んでいる姿と死んだ後の身体の温度。それからは、父がいない人生を当たり前に歩んだ。
時々、父親がいる人のことを羨ましく思うことがある。それは特に、居酒屋やバーなんかで父と子でお酒を酌み交わしているのを見た時だ。そういう時の、父親の目が輝いているのを何度も見た。僕の父もあんな顔をしただろうか。
もう一口、ビールを飲む。父が好きだったビールの銘柄は何だったんだろう。顔がそっくりなんだから、ビールの好みも僕と同じだろうか。だったら、これ少し分けるよ。僕はお墓にあった茶碗にビールを注いだ。液体と泡の比率は七対三。上手に注げるんだぜ。
「乾杯」
お酒を注げるだけじゃないさ。勉強はそれなりに頑張って、大学院も出た。英語だってそこそこ話せる
し、今は一生懸命仕事もしてる。自分のお金で暮らして、自分のお金で好きなことをしてる。大切な人も沢山いるし、いつか紹介したい人だっている。あなたに似てお酒も大好きになった。”あなた”って呼ぶのは、あなたが僕がまだ“パパ”って呼んでた頃にいなくなったから。今更この年になってパパ呼びはないだろ。
何となく思いつき墓参りをしに来た僕は、父に話したいことを全部墓石に向かってビール片手に語りかけた。
試しに飲みかけのビールの缶を花立てに乗せてみると、これ専用なのかと思えるほどに丁度良くフィットした。なぜかそれが嬉しくって、思わず笑う。一人で笑っている心地がしなかった。テレビでお笑い番組を見てビールを吹き出していた父を思い出す。もしかしたら、あなたにはお花よりもこっちの方が似合うかもな。なんて考えてニヤける僕の顔を夕陽が染める。
そろそろ帰ろうとビールを飲み干す。
「また乾杯しに来るよ」
お盆とか命日とかそんなことはどうでも良くって、僕が話したいことがある時に今日みたいにふらっとさ。丁度あなたが、あなたのお父さんにしていたように。
僕は握手を求めるように手を伸ばす。夕日に照らされた墓石に触れると、それはまるで生き物のように温かかった。
優秀作品
「空の向こうで聞いてますか」
「ひでばあ、そっちはどう?。こっちは、なんとかやってるよ。気づいたら、もう六十年も経ってた。だけど、不思議とあなたの声は、今も耳の奥に残ってる」
私が保育園にも行けなかった小さな頃。薪で風呂を沸かし、井戸水で暮らしていた山村を離れ、ぽつんと知らない町へやってきて――それでもあなたは、いつも笑顔だった。でもね、知ってるんだよ。縁側でひとり茶をすする背中が、ときどきふっと小さくゆれて、「はあ、帰りでえ…さびすいなや…」と、誰にも聞こえないようにつぶやいていたこと。あの頃の私は小さすぎて、言葉も少なくて、あなたのさみしさに気づいても「ひでばあ、だいじょうぶ?」と言えなかったよ。それなのに、あなたは毎日、おやつにたっぷり砂糖を入れた卵焼きを焼いてくれて、「こいづ、うんめぇがら、いっぺ食わいない」って笑ってた。月に一度、三十分かけて町医者に歩いていった道もよく覚えてる。あなたの手は、あたたかくて、しわしわで、だけど、どこよりも安らかな手だった。「ころんでも、ただで起きっこすんな。落っこどしたもん、ちゃんと拾ってから立だねどお」「学がねえど、人助けできね。学がねぇわだすは、笑顔で人ばしあわせにしてんだっちゃ」その言葉たちは、今もずっと、私の背中を押してくれている。ひでばあ。私は、あなたが夢見たとおりに、少しはなれただろうか。人の痛みを見つけ、手を伸ばせる大人に。あなたの口癖に導かれて、私は医者になったんだ。あのとき、小さかったから言えなかったけれど、今なら言えるよ。「ひでばあ、さみしい思いさせてごめんな。心から、ありがとう」。
今年もあなたのお墓に足を運んでいるよ。あの卵焼きの甘い匂いを思い出しながら、あなたの眠る場所に花を手向けている。あなたのお墓は、ただの石ではなく、私とあなたをつなぐ時間、土の香り、風の音、静かな空気の中でゆっくりと会話をする場所だから。
あなたが教えてくれたことを思い出しながら、私は誰かの痛みに寄り添っているんだ。お墓参りは、過去の思い出を抱きしめ、今の自分を見つめ、そして未来へ歩む力をもらえる特別な時間。「ひでばあ、もう一度会いたいなあ。大好きだったよ」――私の言葉が空の向こうに届きますように。来年もまた、静かにここに来るよ。
優秀作品
「海がみえるところ」
下関市の観音霊園は、小高い丘の上にある。関門海峡を一望でき、夏の夜には海峡を彩る花火もここからよく見える。幼い頃、私と弟、父、母の四人で祖父母の眠る墓に通った
。線香の煙が潮風に揺れるのを眺めながら、帰り道にはアイスクリームをねだるのが、私のささやかな楽しみだった。
その穏やかな日々は、母の急すぎる死をきっかけに崩れた。五十六歳。あまりにも早い別れだった。母を喪った後、私たち三人は揃って墓参りに行くことがなくなった。父は父の都合で、私は私で、弟は弟で。霊園の高台から同じ海を見下ろしながら、私たちはそれぞれ別々の時間を過ごしていた。
そんなある日、父から電話がかかってきた。「久しぶりに、一緒に墓参りに行かんか」声の調子は努めて明るかったが、どこか震えているように感じられた。弟と私が了解すると、父は少し安心したように笑った。
霊園の駐車場に三人で降り立ったのは、母を見送って以来、初めてのことだった。石段を下る途中、父がふと立ち止まった。視線の先には、海峡を行き交う船の白い航跡があった。
「今日、病院でな、癌やって言われたんよ」
不意に告げられた言葉に、風の音が一瞬止んだように思えた。弟も私も、声を失った。
父は続けた。
「母ちゃんと一緒に、またここに来たいと思うてや。お前ら二人と一緒に」
母を亡くしてからバラバラになっていた私たちを、父は最後の力を振り絞るように呼び戻してくれたのだ。墓前に立ち、三人で線香を手向けた時、母と祖父母に見守られているような温かさを感じた。
母の死で心がどこか離ればなれになった私たち家族は、父の病を前にして、再びつながり直した。観音霊園から見える海峡の風景は、もう子どもの頃と同じではない。だが、線香の煙とともに漂う家族の記憶は、確かにここに残り続けている。
父と過ごす時間がどれほど残されているのかは分からない。それでも、あの日の墓参りが教えてくれたのは、別れがあるからこそ人は寄り添えるということだった。霊園の高台に立つたび、私は母の笑顔と、父のかすれた声を思い出す。そして、これからも弟と共に墓を守り続けていこうと思う。
優秀作品
「〝夢〟のお墓」
父が突然血を吐いて入院した。という母からの電話があったのは、平成三年十一月も末の頃だった。
医師からの説明を聞くのに同席して欲しいと言われ、会社を休んで大阪から上京した。
病名は食道がん、余命六カ月、手術は不可能と告げられた。レントゲン写真を見れば、既に骨にも転移していて、事態が切迫している事が分かった。
その一年程前に、母は懇意の住職の寺に墓地を購入し、土台工事は済ませていた。
だが、父が墓石は定番なものにしたくないと言った為、墓はまだ完成していなかった。
父の満足する墓にしたい。しかし、母が告知しないと決めた父に、墓の話をどう切り出せばいいのだろうか。
父がこれまで話していた事は、
「何々家の墓と書きたくないんだ。僕たちとかかわった人で、一緒に入りたい、入る所がない、という人みんなが入れるような墓にしたい」
という事だけ。
そんな事が現実的とは思えなかったが、今となっては少しでもかなえてやりたい。
六カ月の間にゆっくり話を聞き出そうと思っていた。しかし、四か月もたたぬ三月、父は亡くなった。
衰えてはいても、食事も喉を通っており、頭もはっきりしていた。亡くなる三日前も、見舞いに行った私が、今から大阪に帰ると言ったら、窓の外にちらつく春の雪を指して
「雪だ、こりゃあ新幹線止まるな、帰るのは明日になるぞ」などと笑顔で言い。それが、私と父との最後の会話になった。
覚悟していたとはいえ、突然すぎた。
それからの日々は目まぐるしく、中でも、どうしても四十九日には納骨式をしたいという母の願いを叶えるのは時間的に大変だった。
墓に家名は彫らないという父の遺志を踏まえ、墓銘は、広告デザイナーであり、晩年は中国の古文字を調べていた父が、初孫である私の息子の中学合格祝いに、ふすま半分サイズの和紙に篆書体で書いて贈った『夢』一文字に決めた。
書を見た石材店の店主は、四面を磨いた石よりも、自然石の正面だけを磨いた形を強く勧めてくれた。
あれから三十年。当初は、百年以上の墓が並ぶ寺内墓所で異彩を放っていた我が家の墓も、周りの墓の建て替えや墓じまいなどが進み、デザインや色などが多様化する中、今ではすっかり古参顔で馴染んでいる。
顔の広かった両親の眠る墓には、知らぬ間にお参り下さる方も多く、後になってお礼を言うと
「〝夢〟のお墓は? と聞いたら、すぐ場所を教えてもらえたよ」と言われたりもする。
当初は建てるのに勇気のいる墓だったが、今はこれが一番の正解だったと誇れる墓になっている。
第7回もご期待ください