第2回墓デミー賞
授賞作品の発表
最優秀作品賞
「もう、怒ってないよ」
Hに会いに行った。急に会いたくなった。感染症が拡大し、何処にも出掛けられない日々に疲れていた。たまには散歩でも、と思ってサンダル履きで出掛けたら、街角の花屋に目を奪われた。店先で咲き乱れる花々を眺めているうちに、ふと「もう会ってやってもいいかな」、そう思ったのだ。
そうだ、会って文句の一つでも言ってやろう。花屋で元気が出そうなビタミンカラーを二つ束ねてもらい、コンビニで買い物を済ませ、タクシーに飛び乗った。
寺務所で場所を聞き、手桶に水を満たしてHの元へ向かう。江戸時代から続く由緒正しいお宅でねぇ、という声が背中から追いかけてきた。それもまたHを苦しめたのだろうな、という思いを飲み込んだ。
コロナ禍が全国を襲い、教員だったHは、オンライン授業などで負担が増す中、次第に心を病んでいった。そしてある日、自らに手を掛け病院に担ぎ込まれたのだ。ショックを受けた妻子は去り、人との接触が厳しく制限される中、Hは孤独を極めていった。
家族が戻るまで何とか代わりを務めなくては―来る日も来る日もHの話を聞いた。子どもの頃のこと、学生時代のこと、家族のこと、仕事のこと・・・いつしか夏は終わり、秋が過ぎ、冬を迎えた。
スマホが鳴ってHからメッセージ。
「今夜は冷えますね。そちらはどうですか?」
「こっちも寒いですよ。来週いつ会えますか?」
返信したが、返事が来ない。日程を調整しているのだろう、と思いながら眠りについた。
Hの奥様から電話を頂いたのは、二日後のこと。
「Hが亡くなりました」
寄り添ってきたつもりが、死なせてしまった。私は一体何をしてきたのか。私の記憶はそこで途絶えている。心身を病み、起き上がれなくなった。悲しみと後悔、無力感、怒り、様々な負の感情に襲われた。
周囲を悲嘆のどん底に陥れたH。彼を赦すつもりはなかったが、半年後、何かに突き動かされるように花を買い、手桶に水を汲み、墓前に立った。
墓には彼の名も刻まれており、「長期の調査に出掛けたのだろう」という都合の良い妄想を打ち砕いた。手向けられたたくさんの花は、多くの人が死んだHに会いに来たことを物語っている。目の前に現実を突きつけられ、私は狼狽えた。
行き場のない感情を持て余し、彼の名を指で何度もなぞった。墓を洗い、花を供え、声に出して「バカ」と言ってみた。「ごめん。泣かないで」今にもそんな声が聞こえてきそうだった。
生きることに苦しみ抜いたH。そちらはどうですか? もうT先生には会えましたか? 返事はなかったが、線香の煙はまっすぐ夏空へ上っていった。
先祖が子孫を見守るという信仰は、ある時代からこの列島に根づいている。墓は先祖と子孫をつなぐ場所という考えもあるだろう。ただ、そればかりではなく、墓は、互いに赦し、赦される場のような気もしている。「もう怒ってないよ」。この次は、もう少し大きな声で言ってやろうと思う。
優秀賞3作品
審査員(順不同)
藤原 巧 (審査委員長)
金子 稚子
吉川 美津子
勝 桂子
佐々木 剛
山口 康二
小野木 康雄
緑間 浩市
大橋 理宏
応募要項1
応募要項2