お墓のこと
 
私の実家は、志賀直哉の小説「城崎にて」の舞台となった城崎温泉にあります。豊かな
自然と温泉情緒溢れる町並み、海の幸(松葉がに)、山の幸(但馬牛)に恵まれた大好き
なふるさとです。その故郷で、家を守りお墓を守りながら一人暮らしをしていた母が、認
知症を発症し、千葉の我が家に引き取ったのは13年前。何度も「元気なうちに同居しまし
ょう」と声をかけていたのですが、母はギリギリまで住み慣れた町を離れなかったのでし
た。
我が家に来てからも毎日のように、「そろそろ城崎に帰らなきゃ」「明日城崎に帰るね
」などと言っては家族を困らせました。特に夏になると、「お盆が近いから、お墓の掃除
をしないといけない。どうしても帰らないと」と何度も何度も言うようになりました。余
程お墓のことが気掛かりだったのでしょう。母は毎年きちんとお墓掃除をして、私たちの
帰省を待ってくれていました。母の愁いを少しでも軽くする為、その年から私たち夫婦の
「お盆前墓掃除帰省」が始まりました。
実家の墓所は山の岩肌に面しており、山から小石や小岩が落ちて来る、岩肌から染み出
た水でジメジメしていて水捌けも悪い、当然草はぼうぼう、そして蚊の大群と掃除をする
身にとってはかなり厳しい条件の所です。ここを母はずっと一人で掃除していたのだと思
うと、申し訳なさとありがたさで胸がいっぱいになります。夫と掃除をしながら、子供の
頃、今はこの墓で眠っている父との事を思い出していました。お盆やお彼岸の前には私に
墓掃除を手伝わせながら、祖父母の事や親戚の事、お墓にまつわる色々な話を聞かせてく
れたのでした。父から聞いたあんな事やこんな事を、思い出すまま今度は私が夫に話して
いました。それは期せずして私のルーツを確認する作業ともなっていました。
けれども、母の介護と仕事をしながら、毎年お盆前に城崎まで墓掃除に帰るのはたやす
い事ではありません。いつまで続けられるのだろうと不安になり、「墓じまい」の言葉が
頭をよぎり、寂しさと罪悪感を感じだした頃、定年退職を迎えた兄から、「これからは時
間もできて、帰省出来る機会も増えると思うから、空き家になっている実家とお墓をリフ
ォームしよう」との提案がありました。城崎は兄にとっても、大切なふるさとだったので
す。
リフォームとともに、墓所の一角に、城崎を故郷とする母の姉弟やその子たちの心の拠
りどころとなる記念碑を建て、それぞれの記念品を納めました。父の50回忌と記念碑のお
披露目にみんなで集い、楽しい時間を過ごせました。
母は今年7月、97歳で静かにその生涯を閉じました。コロナ禍が落ち着いたら綺麗に
なった城崎のお墓に納骨します。「お母ちゃんやっと城崎に帰れるよ。みんなが城崎で待
っているよ。毎年会いに帰るからね。」
大切な人たちのお墓があるからこそ、ふるさとを感じ、ふるさとと繋がっていられるの
だと、今私は思っています。